ふるさと

 先日、農業を始めた当時、とてもお世話になった農家の方のお葬式に参列した。

 息子さんがソプラノサックスで演奏する「ふるさと」の曲に送られての旅立ちであった。子や孫たちに囲まれて、本当にその方らしいお別れであった。

 

 戦争も、農村の激変も、経済の浮き沈みも経験した、その方にとって故郷であるこの町は、まさに歌詞のような情景だったに違いない。

f:id:tmagri:20201207185128j:plain


 今の子たちの「ふるさと」とは、どういうイメージなんだろうか。

 「ふるさと」は決して山河の風景やのどかな田園風景のことだけではない。子供のころ、遊んで遊んで、いろんなことを体験したことが、そのまま鮮明な記憶となり愛着となり、いつまでも心のなかに残る、その経験の投影だと思う。

 その愛着こそが、帰る場所である「ふるさと」ではないか、そしてそれは人間の深いところにある感情の一部だと思う。

 

 なぜそう思うのか。

 振り返って自分の「ふるさと」は、どうだろうかと考えてみる。

 ウサギもいるし、清流も水田もある童謡に描かれる田舎の中で暮らしているけれども、この歌詞に共感し、ぐっと心にくる「想いをはせる故郷」から浮かぶイメージは、雑多な路地裏であり、住宅街であり、小さな公園であり、水は汚くても桜並木の堤防と松の緑がきれいな川であった。思い浮かぶ風景は全く違うが、童謡「ふるさと」が歌う心情に共感し、同じ心持になる。

 

 また、アメリカのロック歌手ブルーススプリングスティーンの歌う名曲「MY HOME TOWN」も、同じだと思う。

 

(MY  HOME TOWN)

 子供のころ、おやじの運転する車の膝の上で、頭を撫でられながら「息子よ、よくみておくんだ、ここがお前の生まれた町(HOME TOWN)だよ」と。

 

 65年、青年時代、白人と黒人との争い、ショットガンが火を噴き、暗い時代になっていく。

 

 やがて、つぶれた店や閉鎖された工場が立ち並らび、もうだれも戻ってこないだろう。そして彼女とともにこの街を離れる決意をする。

 

 いま俺は35歳。子供もできた。昨夜、子供を車に乗せてこう言った。

「息子よ、よく見ておけ、ここがお前のふるさと(YOUR HOME TOWN)だ」

 

 この歌を聞いた時、やはり何とも言えない深い共感とぐっとくるものを感じた。やはり人間にとっての「ふるさと」は風景やイメージではなく、その下の深いところにある感情なのだと思う。

 

f:id:tmagri:20201207184704j:plain

 いま、地元の町で一番小さな小学校が、長年統廃合の対象になっている。平成21年、最初の統廃合案のとき、ある会合での児童の親の意見がとても心に残っている。

 

「統合がいいのか悪いのか、教育のメリットデメリットとか難しいことは自分には判断できません。でも、自分が子供のころ、学校帰りに田んぼの畔道を寄り道しながらゆっくり遊びもって帰ったことがとても楽しかった思い出として残っています。町の小学校へのスクールバス通学になってしまうと、そういうことを子供に経験させてやれないので、残念です。」

 そう、大人たちが言っている屁理屈なんかより、こういうことのほうが大事なんだと、はっとさせられた。

 

 いま、世の中はイメージで溢れている。イメージやアイデアだけで終わっては単なる虚像のままなのだ。

 なんでもいい、実体験し、経験をし、繰返し繰返し、あっちに言ったりこっちにいったり、うまくいったり失敗したり。進んだり戻ったり。そういうことを積み重ねた時にはじめて深く愛着をいだく。

 そしてつらいとき、ふと振り返るとそこに故郷がある。

 

 童謡「ふるさと」も、「ふるさとは遠きにありて思うもの」と歌った室生犀星も、故郷を離れて苦難の状況にあって歌われるこの心情は、社会も変わり、出稼ぎや、都会への就職だけが生きる道ではなくなった現在でも、多くの人の共感をもたらす、とても大切な感情だと思う。

 

 そんなふるさとを今の子供たちは持てるのだろうか。

いや、すでに大人たちもそのような故郷を持てずにいる人が大部分なのかもしれない。

子供にも、大人にも、そんな心のよりどころは必ず必要だと思う。

 そしてそれは全世界共通だとも思う。