西宮が近づくにつれて、屋根をシートで覆っている家が増えてきた。
そしてリュックを背負った人がほとんどになってきた。

西宮北口の駅に降り立つと、まず最初に目に飛び込んだのが、法外な値段で弁当を売っている連中だった。こいつらあほか、と思ったが、それを買っている人が結構いて悲しくなった。
歩いて実家まで1時間ぐらい。電車を降りたときから、買い出しだろうか、荷物を背負った人の列が続く。それに続いてゆっくりと歩きながら周りを見る。大きなマンションは大丈夫そうだが、お寺が完全にひしゃげて屋根だけになっていた。ここでは2名なくなっていたそうだ。そして自販機や、公衆電話が壊れて倒れているのを見て、普段見慣れたものがあちこちで同じように壊れているのを見ると、大地震があった、というのを実感した。そして、歩きなれた道路で自衛隊の人たちとすれ違うと、ああ、やはり非常時なんだ、自分の町が被災地なんだ、と実感した。

実家は外見では比較的無事そうに見えた。屋根瓦が落ち、壁が一部落ちてはいるがちゃんと立っていた。中にはいると、両親がかたづけていた。連絡なしに行ったので(連絡できなかったので)驚いたようすだったが、いつものように迎えてくれた。家は中から見ると、所々隙間ができて、風呂や階段は外が見えるくらいだった。両親の寝ていた部屋の大きな家具は、幸いにも隙間無く並んでいて、家ごと揺れたらしくて倒れなかった。怪我ナシですんだが、これが寝ているところに全部倒れたら無事ではなかったろう。ところが、僕が元いた部屋は家具がぜんぶ中心に向かって倒れていて、僕が寝ていたら大けがをしてたとおもう。これもたまたま運がよかったと言うことだ。

もうひとつ、台所の食器棚が何ともなかった。これは、食器棚(かなり大きい物だが)の下の手前に、鍋ぶたがはさまって揺れを吸収する空間ができたようだ。揺れた瞬間に、鍋ぶたが飛んできて、下にがちっとはさまったらしい。のけようと思ってものかなかった。すごい偶然だなあ、と話し合った。

瓦の落ちた我が家にブルーシートをかぶせる作業をしてから、早速、友達の安否を確認するべく市内を回った。