四万十川の風力発電
よそでは、出力抑制でほとんど止まってたり、災害時の停電では風車は回れど電力供給できなかったり、という話も聞きます。
潜在的に、太陽光も風力も非同期電源だから、単に増やせば良い訳でもないとおもうのですが、そこらへん世の中先の事など考えない風潮だから致し方ないか。
まあ、特に地元には必要無さそうなんですけど。
いかにして大量生産、大量消費から離脱して、自然から得られるエネルギーを人間の使うエネルギーに効率よく変えていくか、その技術開発こそが肝であると思ってました。
今後はその方向に行くのでしょうか?行くのであればなおのこと、大規模風力発電は違う方向性だと。
「木一本、首ひとつ」といわれた木曽檜の山。資源保護のため入山、採取を厳しく制限された御留め山。
山に価値を作るのが人の営みならば、時代とともに変わるのは当然でしょうが、変えてはならない考え方、失ってはならない価値があります。
「今だけ、金だけ、自分だけ」と言われる経済優先社会の価値観の中では、自然エネルギーもこうなるのは必然なんでしょうか?
確かに市場拡大の見込める分野ではありますが、自然エネルギー利用とはこういうのではなかったんだけど、と思う。持続可能とかCO2削減といいつつ、実は欺瞞に満ちた施設が建つことには、ああ嫌だなぁ、と心底思う。
「今日、生活科で風力発電のこと教えたよ。あまり役にたってませんって」
「まーねぇ、核融合発電にはてんでかなわないからなぁ」
「でも私は好きよ。生徒たちも好きだって」
元パンクロッカーのお父さん、風力発電風車の下でのんびり煙草を吸いながら、
「いーい天気、、、今日もロックンロール日よりだなぁ、、」とつぶやく。
数年後。成長し、宇宙飛行士となり帰郷したタナベは、おとうさんのもとにお弁当を持っていく。
「相変わらす風車は働き者だねぇ、私、風車は好きよ」
そう、自然エネルギー利用は、人の生活により近く、より優しくなければならないと思う。