2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

震災の記憶−8

電車に乗って帰るとき、梅田駅で乗り換えた。そこでは、サラリーマンがふつうに仕事をして、ごくふつうに居酒屋がにぎわっているいつもの梅田の光景があった。わずか電車で30分あまりの距離なのに、このギャップにショックを受けた。ついさっきまで、ぞろ…

とにかく水(=風呂、水洗便所)がなくて、あまり迷惑がかけられないので、東京に戻ることにした。安否確認のできない友人などもいたが、とりあえず新聞の犠牲者欄にのっていなかったので、みんなも大変な生活で手一杯だろうと思い、あえて探したり訪ねたり…

震災の記憶−6

翌日、母親がやっていた洋菓子のフランチャイズのお店を開けているというので、手伝いに行った。もちろん商品の仕入れはなく、店にある物を売るだけなのでほとんど品揃えはない。しかしお客さんは良く買いに来てくれた。男性がなんか食べるものないか、とき…

M子は5時間生き埋めになっていた。地震発生から家の下敷きになったときに、手で顔をかばったのか、動けなくなっただけでなく、声が出せない状態だったそうだ。 兄が消防に助けてくれるように要請したが、呼びかけに返事がないので妹さんはたぶんだめだろう…

震災の記憶−4

翌日は給水車が来るというので、水をもらいに行った。このころは定期的に給水車が回ってきており、事前に時間も分かっているので、さしたる混乱もなくもらえた。直後は何時間も並んだりしたそうだが。飲料水は何とかなるが、風呂とトイレが困った。トイレは…

震災の記憶−3

(しばらくは農業に関係ないのですみません)小学校からつきあいのある友人の家を順番に見に行った。古い家は激しく倒壊していたが、思っていたよりも全壊が少なかった。しかし、電柱が傾いたり、地面が所々隆起して歩道がひび割れたりしてるのを見ると、よく…