米が稲になるのは自然の仕事。稲を米にするのは人間の仕事。

tmagri2005-10-19


 食べるためにお米という形にする、あるいは貯蔵できる形にする、という作業が収穫作業になる。つまり、実った稲穂から、食べられるところだけを取り出して、貯蔵できるように乾燥させておく、あるいは美味しく食べるために精米する、というのは人間の都合だけのことで、その作業は先人たちの知恵である。
 だから、実った稲穂を見て、自然に(感謝というか、毎年、ああ穫れたなーとほっとする)対する気持ちは持っても、収穫作業は、天候や時間に追われて忙しいので、喜び云々を感じながら仕事することはない。いかに効率よく段取りよく食料を取り出すか、という作業のみである。

 稲を刈るにはコンバインを使う。昔でいう稲刈り、脱穀、選別(とうみ)を、一瞬でやってしまう機械だ。いつ見てもすごいと思う。(ちなみに写真に写っているコンバインは前回壊れた物ではなくて、一段上の新手の中古だ。程度が良いので近所の人が声をかけてくれた。ホントに助かる。)
 
もみ乾燥には、乾燥機を使う。稲木で天日干し(はざかけという)するには、コンバインではなく、手で刈るか、バインダーという機械を使う。

 農業も何かと機械で効率化をはかってきたわけだが、これはしょうがないと思う。収穫作業とはそういうもんだ。しかもたくさんの人様が食べるぶんまでつくってるんだから。
 ただ、籾種から稲穂が実るようになるまでは、機械ではできない。どんなに田植機が早くて性能が良くても、結局台風でおじゃんになることはあっても、二回も三回も実ることはない。どんなにコンバインが大きくて性能が良くても、決まった場所で穫れたぶんしか刈り取ることはできない。何でもかんでも機械化、効率化の落とし穴がこの辺にあると思う。