新ケータイ

tmagri2007-05-25

 さて、いよいよ田んぼも畑も超農繁期突入。
先月、携帯電話がこわれたので、渋々新しいのに替えた。百姓は防水。今回も防水のやつにしたが見た目はそれとわからないほど普通。このおしゃれさが「似合わない」という周囲の評価となっている。
 携帯電話は農業では非常に便利だ。仕事の話、もし携帯でなかったらほとんど留守電になって、相手にとっては不便この上ない。こわれてからしばらくそのままにしておいて、さあ、このまま携帯をやめようかと思ったが、多勢に無勢。みんなが携帯を必要としているからしょうがない。コミニュケーションは相手にあわせる必要がある。
 で、買い換えたが、気に入らない事がたくさんある。電話機能、これは必要。防水、これも必要。メール、無くてもよいが、他の人が送ってくるからこれも必要。iモード、無くても良いが天気予報をチェックするのにあったらいい。最高、ここまでの機能があったらいい。
 しかし不必要な機能がそのほかにどっさりついている。その上、抱き合わせ商法で不必要なサービスまでつけてくれる。電池はすぐ無くなる。料金体系はほとんど意味不明。高齢者向けの電話機能だけにすればよかった。
しかも世の中、いつの間にか「この夏のケータイ商戦」などと言って、ファッションのように買い換えをあおる。
 携帯のできる電話にカメラや動画がつくなんて数年前までは考えられなかった。そして今や、この超高性能精密機器も使い捨ての時代というわけだ。
いかに必要がない物を買わせるか、いかに買い換えさせるか、が今の消費社会のなれの果て。食料もまた同じ。
この手元にある一台が今の経済社会の破綻を凝縮している。技術の粋を集めて作られた機能とこの価値の軽さのギャップが悲しい。