総合学習

この時期は一週間ごとに作物の様子ががらりと変わっていくので、写真をとってもアップする頃にはもう格段に生育してたりする。
スイートコーンは雑草とともに成育中。

小麦は花が咲きました。大麦はあっと言う間に黄金色になりつつあります。
稲の作業は大幅におくれて、これから取りかかります。

 先日、地元の高校から、総合学習の時間に話をしてくれ、ということで出かけてきました。テーマは「地域の将来....」。でも最初から担当の先生は「窪川の農業や歴史については授業で出来るけど、地域がどうなっていくか、変わっていく農業については話す人がいないので、村上さんの有機農業でこれからやりたいことをはなしてくれたらいい」と言って下さったので快諾。
 実は教壇に立つのは3回目。一回目は会社員時代、友人の授業(高校の生物)を見学したいといったら見学はダメだけど、外部講師で話してくらたらいい、といわれ、やってしまいました(お互い今では考えられない無茶というか適当というか)。二回目は今回と同じ高校で、くぼかわ新聞いう観光協会と一緒に発行している地域情報紙の関係で。三回目の今回は本業でということになりました。やっぱり本業の話となると、あれこれ考えましたが、自分が彼らと同じ高校生から会社員を経て農業に至った道のりを話せばおもしろいしわかってくれるかな、と思って話をしました。

 生物の授業(だけ)が好きで農学部へ。植物の面白さ(農業ではない。構造や生理のこと)をおしえてくれた大学から社会人へ、物作りというか職人というか技術者というか、何かそういうモノにあこがれて、あれこれ就職活動、バブル期後半、メーカーは営業営業。唯一研究職で採用してくれた化粧品メーカーへ。都会での暮らしはお金がかかる。お金を使わないと生きてはいけない。そのために仕事をする。食べ物や環境について考えた。健康食品担当になって、食生活の矛盾とひどさに何とかしたいと、食品関係へ転職を決意。食べ物を作る仕事といえば「農業」。
 窪川に来た。水がきれいだ。それだけでもすごい財産。美味しいお米がとれる。意表をつかれた。高知ってこんなにいいとこなんだ。土と百姓がいればたいていのモノは作れる、ということを、今もいろんな人から教わっている。

 穂が出始めた大麦と小麦をみんなに見せながら問いかけてみた。麦から何が作れる?パン、うどん、ビール、麦茶などなど。なぜ作らないのか?買った方が安いし楽だ、作っても面倒で高くて売れないしそれでは生活はできない、という理屈。
 綿の種をみせた。「これはなんですか?」「???」「わかった!綿棒の先っちょ」「正解!」。窪川産の綿。ジーパンもTシャツも作ろうと思えば作れる。都会では買うしかない。田舎でも買っている。自分もユニクロを着ている。でも全く生み出せない環境とやろうと思えば出来る環境とは雲泥の差。
 健康的で食べ物も薬もとれる自然環境と、自分で、この手で作ることが出来る、田畑や百姓というものの財産がどれだけすごい事を内包しているかを話しました。

 時間の関係上あえて有機農業などには触れませんでしたが、話をしていて、ああ、そうなんだな、有機農業とはこういうことなんだと思いました。話が自分でもおもしろかったので、ブログに書き留めておこうと思いました。

 現実はどうあれ、生きていくための根本的なものはこれからも失ってはいけない、というのが将来の農業を語る上で大切と思います。簡単な感想を後日送って頂きましたが、伝わったようで嬉しかったです。
 都会の子供たちとちがって、田舎では当たり前の恵まれた自然環境なのに、それを認識することなくゲームや携帯で遊ぶ。とにかく百姓はもうダメだといわれる。田舎にはなにもないとおもってしまう。それを少しでも変えていければ、と思っています。