震災の記憶−6

 翌日、母親がやっていた洋菓子のフランチャイズのお店を開けているというので、手伝いに行った。もちろん商品の仕入れはなく、店にある物を売るだけなのでほとんど品揃えはない。しかしお客さんは良く買いに来てくれた。男性がなんか食べるものないか、ときたので、日持ちするお菓子ぐらいしかないが、というとその一つを買っていったのを妙に覚えている。そのほかにも割とお客さんはいたようだった。
 そしてその近くの、学生の頃にアルバイトでお世話になっていたスーパーにもいってみた。社長他、みんなは無事で元気そうだった。大きな商品棚がそのまま数十?ずれた痕があっったが、建物自体には被害がなかった。震災の当日に、こわれた商品をかたづけ、シャッターを半分あけたら近所のお客さんが買いに来るので、そのまま開けていた。そしたら夕方のニュースか何かで写ったらしくて、客が殺到してパニックになりそうになってあわてて閉めたそうだ。
 母はとにかく仕事に対しても強い。売ることよりも店を開けることに意味があると思っていたのは確かだ。後日聞いたが、地震の後、うちの兄が私の東京の家にしばらく避難しよう、と提案したとき、「他のみんながこんな状況でもがんばっているのに、家もつぶれてへんし怪我もしてへんのに、なにをなさけないこといってんの」と言ってしかりつけたそうだ。まあ、乳飲み子を抱えている兄の気持ちもわかるが、他の人ががんばってるから自分たちも楽はできない、という気持ちが強かったのだろう。