ウイルス その1

 新型コロナウイルスの感染が世界中で拡大し、脅威となっている。経済に大打撃を与えているし、オリンピックも延期になった。どれだけ感染が広がるか、いつ収束するのか、心配している人は多いと思う。でも、専門家でもはっきりわからないことを考えてもしょうがない。

  専門家は、感染を広げないように、早く収束するように、ということを考えているのである。先を読みながら対策を考えているのであって、私たちが先のことをとやかく言っても意味はない。信じてそのアドバイスに従えばよい。占い師ではないんだ。

 この先、一人一人が感染リスクを減らすような生活を心がけるしかないと思う。

 

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東京のホテルより。実は1月と3月中旬、私事で東京に滞在していました。ウイルス対策を厳重にしていましたが、3月はいつもと違う人の少ない東京に妙に安心しました。

 なのに、である。(たぶん、細菌とウイルスの違いすらわからないような人が)感染率や重症化率や死亡率などを取り上げて、風邪と変わらんから脅威をあおるな、心配いらない、とか、高齢者よりも、大切な家族や隣人の健康よりも経済活動の方が重要だとか、経済が停滞し自殺者が出る、そのほうが深刻とか。検査しろとか、しないとか。いろんな問題をまぜこぜで書くのは勝手だが、ワイドショーにしろブロガーにしろ、薄っぺらい内容の記事を流しながら、「文句たれ」市民を大量に生産してしまっていると思うと、暗澹たる気持ちである。

 

 情報が手軽に手に入り、行き交う現代では、自分の思いや本当に届けたいと思って発信された情報と、反応だけを意識している自己満足の発信とを見抜く力が求められていると思う。商品のマーケティングならそれもいいかもしれないが、事は人の健康と人命にかかわるという想像力の欠如が、もう絶望的だと思った。

 恐怖を煽ろうが楽観的になろうが、そんなことを問題にする時期ではない。現実にするべきことはもはや明らかなのだ。

 

 そしてもう一つ。経済対策に商品券を配るとか、それも消費を促すための対策だとか。消費税増税の対策として低所得者に商品券を買わせたのもびっくりしたが、どうやら本当に景気対策になると信じているようである。そしてこの静かな非常時にも、やはりこんな発想しか出てこない国にいると思うと、本当に気分が沈んでしまう。

 

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  この国には助け合いや、弱者の視点はなくなってしまったのだろうか。マスクがないと言えば先を争って買いあさり、はては転売して一儲けしようとたくらむ。医療機関や介護現場の人々のことなど考えない。人間はやがて年老いて肉体的にも精神的にも社会弱者となって、誰かのお世話になりながら死んでいく。自分だけいつまでも健康だと思っているのだろうか。経済活動は次の世代のためにあるということすら、考えも及ばない人ばっかりなのだろうか。

 人々の往来で経済が打撃を受けたなら、そうではないあたらしい経済活動を今から模索しなくてはならない。どうやら2、3か月でもとに戻るという幻想は捨て、長期戦を覚悟したほうがよさそうだ。2.3か月なら買占めは起きてしまうだろうが、買占めはやめよう!という動きは、長期戦に備える正しい判断だ。

 

 もし、日本で緊急事態宣言を発令する事態になったら、誰かさんの記者会見ではなく、もう、メルケル首相の演説をVTRで流してくれ。これ以上つまらん話を聞いて、気分が沈みたくない。

 

 

   ひとしきり毒を吐いたので(これでも半分)、話題を変えます。

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 とにかく新型コロナウイルスはまだ治療法のない、免疫力の弱い人は重症肺炎になって死亡することもある、恐ろしい病気だと思う。

 ワクチンができて広くみんなが免疫を獲得し、治療法が確立し、それにより感染が収束するまでは、その脅威は決してなくならない。また、それよりも恐ろしいのが、感染が拡大することにより、強毒化タイプに変異してしまう可能性だ。

 

 以前の鳥インフルエンザの騒動を覚えているだろうか。鳥インフルエンザの発生は養鶏農家においては死活問題であり、また、人間への感染から、変異により強毒性をもったままヒト-ヒト間の感染能力をもってしまうことが最大の脅威とされている。この新型インフルエンザの誕生により、今日のようなパンデミック、想定死者5億人ともいわれるシナリオを最も警戒する。

 

 そのために、鳥インフルエンザの発生が見られた農家では、徹底的な防疫処置が求められる。養鶏場は封鎖され、半径数キロにわたって移動を制限し、出入り口では車両も何もかも徹底的に消毒する。そして処理にあたる養鶏農家や家畜衛生保健所や県の職員は感染予防の訓練を受けている。消毒や防護服の着脱手順などである。ゴーグル、マスクはもちろん防護服はインナーとの2重で、手袋も2重。手首、足首、その他つなぎ目はガムテープ等で厳重に目張りをする。

 汚染養鶏場から出てきた場合、テントにて全身消毒後、さらに脱衣時にインナーに防護服の外側が絶対触れないように脱衣手順を厳しく指導されるそうだ。そしてインナーを脱いで新しい防護服を着てテントの外に出る。

 

 感染症の脅威となるウイルスへの対策はこんなもんだと思っていた。

 だから、今回、武漢で爆発的感染の脅威に接していても、空港等の検疫体制やクルーズ船の対応など見ると、「なんか、こんなのでいいのかなあ」と思ってはいた。実際2月3日の時点で感染症学会は「本邦にウイルスが入り込み、すでに市中において散発的な流行が起きていてもおかしくない状況」とアラートを出していたし、すでに水際対策は不可能だと思っていたのかもしれない。

 また一方で、農家の間では、ヒトには感染しないとはいえ、中国、韓国で発生したアフリカ豚コレラに対して、日本の空港等の検疫や危機意識は低すぎるという指摘は確かにあった。とにかく軽く考えていたことは否めない。

 

 そして今、人から人に感染する新型コロナウイルスと向き合わなくてはいけなくなったのは私たち一般市民だ。検疫体制ではなく、日常どう行動するかが試されている。

 ウイルスを絶対に人に感染させないという対策はもはや不可能だ。しかし、感染を拡大させないために一人一人の心がけで封じ込めることも可能だとわかった。ある程度の経済活動と両立できる知恵もわたしたちにはあるはずだ。子供たちにも安全に教育と遊びの場を提供することもできるはずだ。

 難しいことではない。不特定多数の密室空間を避け、石鹸での手洗いを徹底して行い、しんどいと思ったら早めに休む。感染症対策専門家会議等が出している注意喚起、行動指針はその通りだと思う。そしてきちんと実行されるべきことだと思う。何もしないのも、なんでもしてしまうのもよくない。用心しつつも新しい発想で行動することが大事である。

 

                                  (続く)